環境科学に感性はいらない

私は日本での定説に反して、ヨシの植栽は有機物を減らすという意味での水質浄化にはならないとか、霞ヶ浦アサザを植栽することは自然再生にならないと、一貫して主張してきました。最近は私の主張がようやく受け入れられていると感じますが、なぜ当初からそのように確信できたのか、それは私の感性が優れているからかとのご質問をいただきました。
全く逆です。
私は感性では判断しません。現場で起こっていることを客観的に観察し、提起されている問題がその観察事項から合理的に説明できるか検討するという、科学的な手段しか使いません。
たとえばヨシが有機物を減らすかどうかは、ヨシ原に行けば分かります。刈り取りや火入れをしていないヨシ原ではヨシの枯死体から耐え難い臭いが放たれ、有機物としか見えない枯死体が層を成しています。これを見てなおヨシ原が有機物を減らすと主張できる人は、専門家というより詐欺師でしょう。
アサザについては、霞ヶ浦の人工的に波を弱めた植栽地以外の本来の植栽地がどういう所かを見ればよいのです。田んぼの水路とか、ため池とか、波あたりが弱い水域ばかりであることが分かります。
科学、特に環境科学に感性を持ち込むのは大変危険です。特に子供の感性をもてはやすのは最も愚かなことです。今の子供達は、日本の水環境がダムや水路などの土木工事や、農薬などの化学物質で変質しする以前の状況を知りません。人間によって変質したからこそ、生き物たちはその変質した状態に適応しようと、さらに変わります。ですので、ある程度の時間を経た観察や、そのような撹乱がない状況との比較といった、時空を超えた観察が必要です(時間を超えた観察は、一部、地学の手法で過去を復元して行うこともできます。それが地学の強み)。子供にそのような考えはまずありません。
環境科学は感性に頼らない、大人の科学者が主導すべき分野なのです。